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吐血~3~

2009.6.20

日付が変わり、20日になりました。
世間は土曜日。お休みの人が多い週末です。

鼻から内臓へと通された一本のチューブが、唾液を飲み込むたびにのどにゴリゴリとあたります。
痛みがこみあげると同時に、吐き気が襲います。
口で細く長く息を繰り返そうと意識するものの、眠りかけるともう無理です。
おかげで、身体はすっかり疲れ果てているにも関わらず、2,3分おきに否応無く目覚め、小さな洗面器にしがみついては血を吐くという状態を続けなくてはなりませんでした。
鼻から通した管は、もはや何の意味もなさないように思えました。

本来は、内臓からの出血が胃に溜まって吐き気を催すのを防ぎ、鼻から外へ自動的に血液を吸いだす役目を果たしているはずなのですが、私には逆効果のようでした。

吐き気はするんだけどなかなか吐けない、そんなとき、指をのどの奥に入れて吐いたりしたことある人、いませんか。
少なくとも私はそうして生きてきました。
それと同じことが、いま私ののどの奥で起こっているのです、強制的に。

お腹の中に血がたまっていようといまいと、のどのチューブは私に強烈な吐き気を与え続けました。
誰に訴えても、どう訴えても、ナースコールで「お願いだからもうこのチューブを抜いてくれ」と涙ながらに頼んでも無駄でした。

苦しくて辛くて、ぼろぼろと涙も出てきました。
吐き気によって起こる、「いきみ」のような力が腹部にずっとかかっていて、そのせいでせっかくおさまりかけた出血が、また内臓のあちこちから起きているとしか思えませんでした。

どうして、私はこんなことに耐えているのでしょう。
なぜ、耐えなくてはならないのでしょう。
早く楽にしてもらいたいと、ただそれだけが頭の中にありました。


思えばこれまでも、痛くて辛い治療ばかりでした。
決して、手術前も手術後2年間も、楽をしてきたわけではないのです。

がんの骨髄転移が疑われたときも、骨髄採取の検査を行いましたが、なかなか腰の骨が削れず、何度も何度も太い注射針が腰に入ったこともありました。
その結果結局、うまく骨髄が吸い取れずに、まさに「無駄骨」に終わりました。

食事が十分に摂れない状態が続いた日も、高カロリー輸液を点滴するためにと中心静脈注射を行おうとしましたが、失敗の連続のために喉元と胸に血腫ができてしまい、輸液も点滴できず仕舞いだったこともありました。

手術前にはほぼ毎週のように太い内視鏡(胃カメラ)を飲みましたし、手術そのものに至っては、腹部を30センチも切っての大手術だったのですから、皆さんの想像を絶するものがあると思います。

でも結局。
痛い思いをどんなに耐えても、無駄でした。
頑張っても、頑張っても、意味のないことでした。

私はとても骨が健康で頑丈で、削れにくい体質だったこと。
私はもともと貧血気味でとても血管が細く、さらに元自衛官だったこともあり、筋肉が多く血管が隠れやすい体質だったこと。
そのせいで、起きてしまった2つの「失敗」でした。

そして、私のガンはとても悪性のもので、スキルスという非常に見つかりにくいガンであったことが、最悪の「運の悪さ」でした。

そして今回。
救急車で病院に到着してすぐ、内視鏡による検査が行われましたが、ここでも結局ひとつの無駄がありました。
麻酔が切れた状態で、プラスチックの、内視鏡による検査および治療に使用する中ではもっとも太くて固い器具をのどに押し込まれましたが、いくら私の内臓の出血箇所を特定しようとしても、その場所が見つからなかったのです。

何度も内視鏡のチューブが身体の中を出入りしました。苦しくて自然に涙が出てきます。チューブが押し込まれ、引っ張り出される感触が波のように襲うなか、「身体を楽にしてください」などという指示は、もはやただの拷問でしかありませんでした。
出血箇所を特定して、その血管を押さえて出血を止めるためにその拷問に耐えましたが、すでに出血がおさまっていたのか、あるいは内視鏡の届く範囲には出血箇所がなかったのか、「どこから出血しているのか定かではない」とのことでした。

結局、なんの処置もできないまま内視鏡は抜かれ、代わりに左の鼻穴から太さ1センチ程度のチューブが入れられ、のどを通って胃の奥へとその管が入ることになったのです。

病院に到着してから、この時点で3時間は経っていました。
これらのひととおりの処置が終わると、やっと病室へと向かうことになりました。
眠るためです。

通された部屋は個室でした。
病院側が、個室での治療が必要という判断を下しての入室ですので、個室であっても、差額ベッド代は請求されません。大部屋に入室しているのと同じ扱いです。
それは、ただでさえ毎月の通院加療費がかさむ私にとって、とてもありがたいことです。

鼻に入ったチューブが、ガムテープのようなもので頬に固定されました。

胸には心電図をとるためのシールが貼られ、赤・黄・緑のラインがベッドの外へと出ています。

指先には酸素飽和度の測定器具をつけられました。

尿道には、導尿カテーテルが差し込まれました。このチューブが尿道に入るときも、ぐりぐりと異物があてがわれる痛みがありますが、それよりも、チューブが入っているせいで、逆にすぐにでも尿漏れがおきそうな、不安でなんだかいやな感触がします。何度経験しても慣れません。

右手首と左手首、両方に点滴の針が差し込まれました。

ラインを辿って見上げていくと、右手がわには、輸血用のパックが下がっています。生まれて初めて、輸血というものを受けました。ぽたり、ぽたりと、ゆっくり他人の血液が体内に入ってくるのを見るさまは、決して気分の良いものではありません。
でも、ヘモグロビン値が6を切っているということで、これはどうしても避けられない事態だったようです。
輸血のパックのほかに、もう一種類よくわからないパックが隣にぶらさがっています。
なんだかは知りませんが、必要なのでしょう。

左手のラインを辿っていくと、定期的に液を注入するための器具が途中に噛まれ、その上に生理食塩水のパックがぶら下がっています。これはよく見ます。なんだかすっかりおなじみの名前です。ソルデム3A・500と書いてあります。


そして、冒頭の通り私は、強い吐き気に襲われながら、ベッドに横になっています。

すでに消灯時間をすっかり過ぎた、薄暗い病棟。
少し頭がぼうっとしてきました。
入院のたびに何度もお世話になったことのある看護師さんが一人、なんだか私のベッドのそばで、あれこれと電子カルテに打ち込んでいます。

時折私が強い吐き気を催して、貸してもらった小さな洗面器に顔を向けると、手を止めて背中をさすったりしてくれました。

別の看護師さんが部屋にやってきて、次になんだか太い注射器のようなものと、横型の器具を用意しています。
痛み止めのお薬でした。いつもの飲み薬がもう飲めなくなってしまったので、点滴を通して体内に注入するのでしょう。
器具に注射器のような入れ物を噛ませて、なにやら「3です」「2です」などと看護師さん同士やりとりして、セットが終わったようです。

そうしている間も、一人の看護師さんは「辛いね、辛いね」と言いながら、背中をさすってくれたりしていました。

私は、ぐったりと全身が疲れた状態になりつつも、せめてものお願いとして、休ませてほしい、眠りについてしまいたいと訴えました。

「うん、わかりましたよ」と、手をぎゅっと握り返してくれた手が、とても優しく心強く思えました。
また別の看護師さんが、それとほとんど同時ぐらいにやってきて、小さな点滴用のパックをぶらさげました。

どうやらすでに先生は、私のために睡眠薬を用意してくれていたようです。
生理食塩水のとなりに、小さなパックが揺れました。

それは、私を苦しみから一瞬だけでも解放してくれる、たったひとつの存在でした。一滴、また一滴と落ちる液を見つめながら、ほんのわずかな眠りにつきました。
数分おきに目は覚めますが、吐き気がおさまればまたすぐに眠れるような、そんな状態に、なりました。

気がつけば、日付が変わっていました。
世間は土曜日。のんびりとした、幸せなお休みの人が多い週末です。





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