吐血~2~
2009/6/19-②
目が覚めました。
まだ、病院に着いてから、4時間くらいでしょうか。
もう日付が変わりそうです。
救急隊員さんがマンションに到着するまでの間、私は2度目の吐血でトイレに居ました。
息子は、心配そうに私の背中に立っていました。意識が遠のきそうでした。
もともと強い貧血の私にとって、吐血というのはもちろん最悪な事態でした。
昔からヘモグロビンの値が8を切っていることが多く(通常の女性は11以上が普通のようです)、起き上がるときにめまいやふらつきがあるのが当たり前でした。
そんな状態からさらに血液をごぼごぼと失っていくのですから、吐くたびにクラクラとした感覚に陥るのです。
それでも、なんとか気力で意識を保っていると、インターフォンの音がしました。隊員さんたちが一階のエントランスに到着したようです。
息子が受話器をあげ、「どうぞ」と、共通玄関のドアロックを解除して開けてくれました。
私はまた急いでトイレットペーパーで口もとを拭き、目の前の赤い血をざぁっと流しました。頭が、キーンと痛みます。景色がぐるぐると回り、壁に手をついていないと今にも倒れてしまいそうです。
必死にこらえながら、隊員さんたちが私たちの住む階にあがってくる前に、お財布などの入ったバッグを肩にかけ、玄関の外にキャリーバッグを転がしました。
息子がそれを手伝ってくれました。
到着した隊員さんは、「○○さん(私)ですね。まずは、嘔吐したものを持ってきてもらえますか」と私に尋ねました。
ああ、しまった、と私は思いました。
「すみません、全部トイレに流してしまいました」と謝りました。とても、何か洗面器などに吐き出すという発想ができる状態ではなかったのです。
すると隊員さんは、「そうですか、ではとりあえず救急車に乗りましょう。どのぐらい吐血されたか、わかりますか」と尋ねました。
私は、エレベータに向かいながらさっきまでのことを考えました。どのぐらい吐いたのか…「全部あわせたらたぶん、500のペットボトル1本分くらいは。少なくとも」と答えました。
それにいくつかの確認事項を隊員さんたちに答えながら、ふらつく足で一歩ずつ廊下を進みました。息子も一緒に、エレベータまで見送りに来てくれました。
着いたエレベータに乗り込むと、扉がしまる向こう側で、息子がこう言いました。
「よろしくお願いします。」
それは、隊員さんたちに向かっての精一杯のひとことでした。隊員さんたちは、とても驚きながら、「うん」とか「はい」とか答えていました。
あとから救急車の車内で、「いままで、こうして患者さんを運んできて、あんな小さな子にあんなにしっかりとよろしくお願いしますなんて言われたの、初めてですよ。おいくつなんですか」と、言われました。
息子の成長を、うれしく、頼もしく思えた瞬間でした。
1階に着くと、エントランスにはストレッチャーが置いてありました。指示通りゆっくりと座り、靴を履いたまま横になります。
隊員さんたちは、なるべくまた吐き気が起きないようにと、できる限りそっと私を車内に乗せてくれました。
かかりつけの病院に連絡をとってもらうと、同居人、つまり元夫か、あるいは実家の母の意思が確認できない限り、受け入れできませんとのことでした。
元夫はこのとき家にいませんでしたし、私からの電話にはもちろん一切出ません。それどころか、私が困っていると知ったら、もっともっと困らせる行動に出ることは明白です。いま現在裁判所を通して調停中であるため、お互い関わりあうわけにはいかないですから、隊員さんにもそう説明してもらうように伝えました。
そして、青森の母ができる限りすぐ来てくれるであろうことも伝えました。
しばらくの交渉後、やっと病院側が受け入れてくれるとのことで、救急車はサイレンを鳴らして走り出しました。
隊員さんが、病院に着くまでの間、私が気を失ってしまわないようにといろいろと声をかけてくれました。
諦めによるものからだったのか、それとも、小さな息子の心強い姿を垣間見た安堵感からだったのかはわかりません。
でも、残念なことに少しずつ少しずつ、繰り返すサイレンの音は、確実に遠くなっていきました。
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目が覚めました。
まだ、病院に着いてから、4時間くらいでしょうか。
もう日付が変わりそうです。
救急隊員さんがマンションに到着するまでの間、私は2度目の吐血でトイレに居ました。
息子は、心配そうに私の背中に立っていました。意識が遠のきそうでした。
もともと強い貧血の私にとって、吐血というのはもちろん最悪な事態でした。
昔からヘモグロビンの値が8を切っていることが多く(通常の女性は11以上が普通のようです)、起き上がるときにめまいやふらつきがあるのが当たり前でした。
そんな状態からさらに血液をごぼごぼと失っていくのですから、吐くたびにクラクラとした感覚に陥るのです。
それでも、なんとか気力で意識を保っていると、インターフォンの音がしました。隊員さんたちが一階のエントランスに到着したようです。
息子が受話器をあげ、「どうぞ」と、共通玄関のドアロックを解除して開けてくれました。
私はまた急いでトイレットペーパーで口もとを拭き、目の前の赤い血をざぁっと流しました。頭が、キーンと痛みます。景色がぐるぐると回り、壁に手をついていないと今にも倒れてしまいそうです。
必死にこらえながら、隊員さんたちが私たちの住む階にあがってくる前に、お財布などの入ったバッグを肩にかけ、玄関の外にキャリーバッグを転がしました。
息子がそれを手伝ってくれました。
到着した隊員さんは、「○○さん(私)ですね。まずは、嘔吐したものを持ってきてもらえますか」と私に尋ねました。
ああ、しまった、と私は思いました。
「すみません、全部トイレに流してしまいました」と謝りました。とても、何か洗面器などに吐き出すという発想ができる状態ではなかったのです。
すると隊員さんは、「そうですか、ではとりあえず救急車に乗りましょう。どのぐらい吐血されたか、わかりますか」と尋ねました。
私は、エレベータに向かいながらさっきまでのことを考えました。どのぐらい吐いたのか…「全部あわせたらたぶん、500のペットボトル1本分くらいは。少なくとも」と答えました。
それにいくつかの確認事項を隊員さんたちに答えながら、ふらつく足で一歩ずつ廊下を進みました。息子も一緒に、エレベータまで見送りに来てくれました。
着いたエレベータに乗り込むと、扉がしまる向こう側で、息子がこう言いました。
「よろしくお願いします。」
それは、隊員さんたちに向かっての精一杯のひとことでした。隊員さんたちは、とても驚きながら、「うん」とか「はい」とか答えていました。
あとから救急車の車内で、「いままで、こうして患者さんを運んできて、あんな小さな子にあんなにしっかりとよろしくお願いしますなんて言われたの、初めてですよ。おいくつなんですか」と、言われました。
息子の成長を、うれしく、頼もしく思えた瞬間でした。
1階に着くと、エントランスにはストレッチャーが置いてありました。指示通りゆっくりと座り、靴を履いたまま横になります。
隊員さんたちは、なるべくまた吐き気が起きないようにと、できる限りそっと私を車内に乗せてくれました。
かかりつけの病院に連絡をとってもらうと、同居人、つまり元夫か、あるいは実家の母の意思が確認できない限り、受け入れできませんとのことでした。
元夫はこのとき家にいませんでしたし、私からの電話にはもちろん一切出ません。それどころか、私が困っていると知ったら、もっともっと困らせる行動に出ることは明白です。いま現在裁判所を通して調停中であるため、お互い関わりあうわけにはいかないですから、隊員さんにもそう説明してもらうように伝えました。
そして、青森の母ができる限りすぐ来てくれるであろうことも伝えました。
しばらくの交渉後、やっと病院側が受け入れてくれるとのことで、救急車はサイレンを鳴らして走り出しました。
隊員さんが、病院に着くまでの間、私が気を失ってしまわないようにといろいろと声をかけてくれました。
諦めによるものからだったのか、それとも、小さな息子の心強い姿を垣間見た安堵感からだったのかはわかりません。
でも、残念なことに少しずつ少しずつ、繰り返すサイレンの音は、確実に遠くなっていきました。
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